【開催レポート】日本文化の何が世界でウケるのか? ~文化外交活動を通して見えた世界の中の日本~特別講座
- 開催レポート

開催日時 |
11月11日(水)19:45~21:15 |
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場所 |
デジタルハリウッド大学 駿河台キャンパス 駿河台ホール |
アクセス |
JR「御茶ノ水駅」聖橋口より徒歩1分 |
訃報
本学公開講座にご登壇いただいた櫻井孝昌氏が、2015年12月4日急逝されました。
謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
コンテンツメディアプロデューサー、櫻井孝昌氏の見る世界の中の日本とは?
世界で熱い人気を集める日本のアニメ、漫画。また、これをきっかけにした日本自体への関心も強まっています。今回、コンテンツメディアプロデューサーで国際オタクイベント協会(International Otaku Expo Association)事務局長を務める櫻井孝昌氏が登壇し、『日本文化の何が世界でウケるのか?~海外外交活動を通して見えた世界の中の日本~』というテーマで講演が行われました。
日本人の知らないOTAKUイベントの世界事情
「海外では様々なOTAKUイベントが毎週のように開かれており、それらはいわゆる親日イベントと捉える事ができます」と述べる櫻井氏。OTAKUイベントは世界中で毎週のように開催されており、ハワイのワイキキビーチのすぐ近くでも行われているそうです。また、ドイツのイベントで、コスプレイヤーたちがイベント会場に隣接する公園の芝生でソーセージなどを食べている写真が印象的でした。こういった知られざる世界中のOTAKUイベントが、講義の中では写真をスクリーンに映し出して解説されました。中でも印象的だったのは、サハリンで行われているイベントです。ロシアの辺境にある地にも、日本のポップカルチャーの愛好団体が3つあります。サハリン南部、コルサコフで行われた『コルコン』というオタクイベントでは、日本の音楽や文化が好きな人が300人ほど集まるとのことです。「人口3万人のうちの300人。東京で換算すれば1千万人のうちの10万人が集まるイベントという換算になる」と人口に対する参加者の割合の高さを指摘しました。「こういったイベントが世界中で毎週のように行われている現状があります。日本から近い国々で行われているOTAKUイベントについて日本人はほとんど知らない」と、日本人が生み出した文化イベントがあまり認知されていない事について解説しました。
何故日本のポップカルチャーがウケるのか。
「250年前にもアイドル文化があった」と、櫻井氏はコメント。そして、江戸時代に活躍した絵師、鈴木春信の美人画のモデルとなった『笠森お仙』について解説しています。『笠森お仙』は、茶屋(現代ではカフェのような場所)で働いていた女性であったと伝えられています。一般女性でしたが、彼の美人画に取り上げられてから江戸随一の美人として一世を風靡しました。浮世絵は、旦那衆たちが交換していた絵暦に描かれた絵に「もっと綺麗なものが欲しい」という需要が起こったことから、多色刷りが発展したそうです。「「旦那衆のオタク魂が浮世絵を発展させたと言っても過言ではない」と、櫻井氏は語りました。後に、浮世絵はヨーロッパで見出され、ジャポニズムを引き起こしました。この浮世絵の構図や色使い、日常を何気なくとらえた特徴が印象派を生み出した、とも言われているそうです。「文化にはハイもサブもありません。歌舞伎だって昔はサブカルなものだった訳です。浮世絵は当時、誰もが芸術だとは思っていませんでした」と、櫻井氏は解説しました。櫻井氏が外国人と話すとき、日本のポップカルチャーが何故人気なのか尋ねてみると、「日本人は伝統を大事にしてきたからこそ、日本は、日本にしかないものを創る国というイメージ、ものづくりに真面目な国という印象を海外の人は受けている印象がある、と語りました。
プロデューサーとして意識していること
櫻井氏は、世界中でファッションのイベントも行っていますが、オーディションで選んだ一般の男女をモデルに起用することがほとんど、と言います。「プロのモデルだから似合うのだという印象を持って欲しくない。読者モデルが人気な理由と同じです」と櫻井氏はコメント。櫻井氏はプロデューサーとして、女の子の力を信じています。彼女たちは、与えられた服に対し、「どのようにかわいくポーズをとったら一番いいのだろう」という事を一生懸命に考えてくれるとのことです。こうして生み出されたものの方が、見ている人に確実に届く方法だと感じていると解説しました。
講演中、紹介された世界のOTAKUイベント写真のスライドでは、多くの人が写真を撮り合ったり、笑いあったりしている素晴らしい写真ばかりでした。世界がお互いに理解し合うための「文化外交」の大切さを学んだ貴重な時間となりました。
原稿:デジタルハリウッド大学 1年 大舘 拓実