追悼:マーヴィン・ミンスキー氏ニュース
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掲載日 |
2016年1月29日 |
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2016年1月24日、人工知能研究の先駆者でありコンピュターサイエンスの分野でもご活躍されたマービン・ミンスキー氏がお亡くなりになりました。ご冥福をお祈りするともに、マサチューセッツ工科大学(MIT)において親交のあった杉山知之学長による追悼文を掲載致します。
人工知能の父のひとりであるMarvin Minsky先生が、1月24日に逝去された。1950年代に人工知能と言われるようになる研究を始め、1970年にMITに独立した人工知能研究所を設立した先生でもある。1985年、新設されたMedia Labに移り、そこで書き上げられたのが、かの有名な著書「The Society of Mind」(1988)だ。
その本が発行されたとき、ぼくはMedia Labに赴任していた。ミンスキー先生の部屋は、同じフロアの同じ区画の中にあった。その頃なので、読者からの感想が、手紙で先生の部屋に届き始めた。その中にカミソリと脅迫文もあった。ミンスキー先生のベテラン秘書は、恐れおののいた。曰く、「著書が述べていることは、人間と同等の脳を、人間が作れる可能性を述べている。これは人が人を創ろうとすることであり、人間が神になろうとする許せないことである」という主張だった。ぼくは、人工知能学者の研究成果発表が、命の危険に値するものであると、リアルに感じたのであった。
そんな話題の本だったから、いろいろな媒体から取材が押し寄せた。昔のことなので経緯は忘れてしまったが、その取材を僕が手伝うことがあった。そのとき、ミンスキー先生は、記者に向けて、簡単な図を描き始めた。専門家ならすぐに脳とわかる輪郭を描き、その中に脳内で起こっているであろうことを書き込み始めた。描いた後、しばらく図を眺めて、一言「他に脳がやっていることは無いな」とおっしゃったのであった。取材が終わったあと、その図はテーブルの上に放置された。ぼくはそれを保管し、後日、サインを求めた。
デジタルハリウッド設立したとき額装して、それ以来ずっと自分のPCのすぐ横の壁に飾っている。
さて、ミンスキー先生から教えていただいたことで、デジタルハリウッドに取り入れられていることがある。あるとき先生に、「先生は、MITに人工知能研究所を設立された方なのに、なぜ、Media Labに移られたのですか?」と質問すると、「トモ、新しいアイデアは混沌からしか産まれないのだよ。ここには、いろいろな分野の専門家と、世界中から集まってくる学生たちがいる。だから、ここに来たんだ」と。ご冥福を心からお祈りします。Marvin Minsky先生、感謝です!
2016年1月28日 デジタルハリウッド大学学長 杉山知之