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【開催レポート】『嵐を呼ぶ女 アカデミー賞を獲った日本人女性映画プロデューサー、愛と闘いの記録』出版記念 世界を駆ける女性映画プロデューサーはどのようにして生まれたか?

【開催レポート】『嵐を呼ぶ女 アカデミー賞を獲った日本人女性映画プロデューサー、愛と闘いの記録』出版記念 世界を駆ける女性映画プロデューサーはどのようにして生まれたか?

日時

2022年7月7日(木)19:30~21:00

場所

デジタルハリウッド大学駿河台ホール/Zoomオンライン中継

アクセス

https://dhu-lecture-220707.peatix.com/

 2022年7月7日、デジタルハリウッド大学では特別講義【『嵐を呼ぶ女 アカデミー賞を獲った日本人女性映画プロデューサー、愛と闘いの記録』出版記念、世界を駆ける女性映画プロデューサーはどのようにして生まれたか?】を開講しました。

 講師を担当していただいたのは、映画プロデューサー・吉崎 道代さんです。今回は吉崎さんの長年のビジネスパートナーであるアークエンタテインメント株式会社専務取締役・坂上 直行さんと共にご登壇いただき、『ニュー・シネマ・パラダイス』を買い付けた際のお話やアカデミー賞授賞式の舞台裏など、吉崎さんの半生を中心にお話しいただきました。

 本講義は、デジタルハリウッド大学駿河台ホールとZoomによるオンライン中継のハイブリット形式で実施しました。

「世界の片隅でもいいから、映画業界で働きたい」13歳で意思が固まる

 吉崎さんが映画業界を意識するようになったのは、13歳のころです。幼少期から紙芝居に魅せられており、小学生になってからは映画が大好きな少女に。中学時代は、後に『ゴッドファーザー』で主演を務めたマーロン・ブランドを神として崇め、彼と同じ業界で働きたいと思い始めたそうです。

 世界の片隅でもいいから、映画業界で働きたい。吉崎さんは13〜18歳の期間、毎日お寺で拝んでいたといいます。「もちろんただの神頼みではなく、毎日祈ることで自分の意志がどんどん強固になっていくんです」と振り返りました。

 もともとは日本の大学に行くつもりだった吉崎さんでしたが、受験したすべての大学が不合格。「わたしの居場所は海外なのかもしれない」と感じ、当時最もパワフルに感じたイタリア国立映画実験センターへの進学を決意しました。

 「イタリア映画に関する論文を100枚、映画学校におくりました。わたしはイタリア語を全然使えなかったから、頑張って英語でまとめたんです。その論文と、父に借金をしたおかげでイタリアへ留学することができました。ただ後に映画学校の先生に話を聞いてみると、彼らは英語がわからず、かろうじて読めたのはイタリア人監督の名前だけ。論文の内容ではなく、100枚送付した熱意を買ってくれたようで、思わず笑ってしまいました」と、懐かしみながら話していました。

“映画”をテーマにした映画がウケなかった時代に『ニュー・シネマ・パラダイス』を買い付ける

 イタリアでは、『デカメロン』『アラビアンナイト』のピエル・パオロ・パゾリーニ監督や、『山猫』『ベニスに死す』のルキノ・ヴィスコンティ監督などから教えを受け、日本に帰国した吉崎さん。

 その後、イタリア映画の専門家として日本ヘラルド映画株式会社に入社しましたが、仕事がご自身に合わず入社から8カ月後に退職願を提出しました。ただ上司から「辞めるのではなく映画の権利を買い付ける仕事をしてみないか」と誘われたことで、その仕事に惹かれ退職願を撤回したそうです。

 1970年代以降VHS(家庭用ビデオテープ)が普及し、レンタルビデオ店が増加したことによって、日本国内では海外映画の需要が高まっていました。そのような時代で吉崎さんが任された仕事は、端的に言えば映画の輸入。これまでに数多くの海外映画を日本に持ち帰ってきたと吉崎さんはいいます。

 講義内で「これまでの映画史の中でも必ず見るべき映画」と紹介された『ニュー・シネマ・パラダイス』の日本配給権獲得は、吉崎さんの手腕が大きく影響しました。

 「『ニュー・シネマ・パラダイス』を初めて見たときに衝撃を受けて。これは買わなければならない映画だと思いましたが、アメリカでの人気にともない買い付け金額が跳ね上がっている。そのうえジュゼッペ・トルナトーレは日本国内ではまだ無名の監督だし、映画自体をテーマにした作品は日本でウケたことがない。上司がNOと言うには十分な理由がそろっていましたが、わたしの後のアポイントメントが日本のライバル会社だったこともあり、思い切って買ってしまったんです。」

 そして日本ヘラルド映画が配給権を獲得し、国内の一部映画館では40週におよぶ連続上映を行うほどの大ヒットを記録。その後『ニュー・シネマ・パラダイス』は、カンヌ国際映画祭審査員グランプリ、アカデミー外国語映画賞、ゴールデングローブ賞外国語映画賞などを受賞しました。

良作を買い付けできない苦い経験から、プロデューサーへ

 このように偉大な実績をお持ちの吉崎さんでしたが、歯がゆい経験もたくさんされたそうです。たとえば、『ラストエンペラー』や『ダンス・ウィズ・ウルブズ』の買い付けなどは失敗に終わりました。

 「『ラストエンペラー』の買い付けは、中国映画は日本で流行らないと上司に断られた。『ダンス・ウィズ・ウルブズ』については、ケビン・コスナーがいくらバッファローを集めようと西部劇はウケないと、買い付けを許されませんでした」と振り返る吉崎さん。

 ちなみに、『ダンス・ウィズ・ウルブズ』最大の目玉であるバッファロー狩りのシーンは、ケビン・コスナー監督が実際に数千頭のバッファローを集めたそう。

 当時、日本ヘラルド映画の宣伝を担当していた坂上さんは「吉崎さんがすごいのは、作品が持つ“人の心を感化させる力”を読み解けるところ。しかしながら、たとえば『ダンス・ウィズ・ウルブズ』は、俳優として有名だったケビン・コスナーの “初” 監督ということで、それがネックだった。そのうえ、西部劇は日本で人気がないなどの二重苦や三重苦があったことから、会社としては買わないという判断に至ったんです」と買い付けのシビアさを語りました。

 その苦い経験から、吉崎さんは「自分で会社を立ち上げて、良い映画を作るしかない」と一念発起。吉崎さんの実績を買ってくれた住友商事からの出資を受け、新たにプロダクションを立ち上げました。

アカデミー賞授賞式で出会った紳士、トム・クルーズ

 映画を買う立場から売る立場になった吉崎さんは、プロデューサーとしても多くの成功を収めました。アカデミー脚本賞を受賞した『クライング・ゲーム』や、アカデミー賞の3部門を獲得した『ハワーズ・エンド』を手掛け、2作品同時にアカデミー賞で評価されました。

 初めて授賞式に参加された際は、中学生だったお子さんもアメリカに連れていったそう。「わたしが関係した2作品と同じく、『ア・フュー・グッドメン』が作品賞にノミネートされており、主演のトム・クルーズが出席するパーティーに招待されました。一緒に参加した息子はトム・クルーズの大ファンだったので大興奮。 彼がほかの参加者と歓談しているときや、スピーチをしているときもずっと息子は付いていっちゃって。スピーチが終わったらトム・クルーズは息子の肩を組んで、簡単な英語で話そうとしてくれたんです。」と吉崎さんは話しました。

 トム・クルーズといえば、記念撮影やサインなどに数時間かけるほど、ファンへのサービスが手厚いことで有名ですが、カメラが無い現場でもトム・クルーズはトム・クルーズ。吉崎さんは「彼は観客にしか興味がない、だから成功したんだと思います」と嬉しそうに語りました。

 その後も吉崎さんは『カーマ・スートラ』や『チャイニーズ・ボックス』など、数々の話題作を手掛けます。留学後から現在に至るまで、そしてこれからも映画業界で働き続けるとのことでした。

マイナーなプロダクションが成功するには

 ここで吉崎さんの生い立ちから、ご自身のプロデューサーとしての仕事論に話題が転換。ゼロからどうやってプロジェクトを立ち上げるのか、お話しいただきました。

 「まずわたしが映画のテーマを決めて、完成までのおおまかな段取りをまとめます。そこからテーマに沿った脚本家を探す。1年以上かけて脚本を練り上げていき、だいたい8〜9稿くらい書き直してもらうんです。良いシナリオができたら、監督にアプローチ。その後投資家を探してから、本格的に撮影が始まります。」

 トータルで約3年の年月がかかる大掛かりなプロジェクトであり、人によっては人生がかかることもあります。吉崎さんが言うには、良いシナリオを作るという前提で、いかに有名な監督を味方にするかが重要だそう。

 「わたしたちのようなマイナーなプロダクションは、大手と比較して圧倒的にお金が不足しています。そのため、大手とは別のやり方で監督にアプローチするしかありません。有名な監督はメジャーなプロジェクトのほかに、たいてい個人的な思いが詰まったプロジェクトの種を持っています。『そのプロジェクトをわたしたちが引き受けます』というと彼らは報酬金額に関わらず協力してくれるんです」

 このように大手が取らない手法で、プロジェクトを成功へ導き、吉崎さんは自身のプロダクションを大きくしていきました。

とにかく映画を見ることで、嗅覚が養われる

 特別講義終盤には、吉崎さんの仕事やプライベートについて、講義参加者からたくさんの質問が届きました。

 たとえば「吉崎さんは買い付けの際、どうやって良い映画を見極めていましたか?」という質問には、このような回答をされていました。

 「企画書や脚本など、制作チームから提供される情報に加えて、過去に日本でどんな作品がヒットしたのかは必ず頭に入れて交渉をします。あとは自分の感性が頼りなので、大事なのはとにかく映画を見ることです。学生時代は年間400本見ていましたし、今でも毎年100本以上は見ています。もし映画業界を志すなら、時代・国・ジャンルに関わらずたくさんの映画に触れてください」

学生へメッセージ

 最後に映画業界で働きたい学生へ向けて、吉崎さんからメッセージをいただきました。

 「今日は男性だけでなく、女性の方もこの講義に来てくれて心強いです。昔は女性だからといって差別されることがあったり、子持ちの女性は働けなかったりもしましたが、今の映画業界は子育てをしながら働いている方がたくさんいます。わたしは未婚の母でしたが、ほかの人の支えもあって、私生活を犠牲にすることなく仕事を続けることができました。社会人になったら仕事だけでなく、ぜひプライベートの時間も大切にしてください。その時間を使って映画を見ることはもちろん、たくさん恋をする。それが糧になり、仕事に良い影響を与えるはずです。頑張ってください」

   

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これから先、諦めたくなる瞬間が
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もちろんおれにもくる

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きっと「最高だ!」って思えるんだよ

だから、とにかく一歩踏み出す
その選択が正しいかなんて、
今の時点じゃ誰にも分かんないし

最終的に、自分の道は、
自分で選ぶしかないでしょ!

みんなを生きるな。
自分を生きよう。

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